「センゴク」の人が関ヶ原の漫画を連載するみたいで、神聖ローマ帝国の漫画もやるとかで、楽しみが増えた。
↓この日の日記で、「センゴク権兵衛」最終巻の呆気なさを嘆いていた矢先の朗報。
昨日に引き続き廃人状態。12年前、パニック発作が出て治療を始めた時も今と似たような感じだった。
その当時も休日の過ごし方は今とあまり変わらずドライブや貧乏旅行を楽しんでいたけど、所々記憶が完全に抜け落ちている。自分で撮った(らしい)写真を見てやっと思い出すことも多かった。
また寒天ゼリー。そんなに好きか。
包み紙を水で洗って乾燥させて、たまにメーカー毎に並べて比較するのも楽しい(暇人)。
旬菓吉宗庵ミックスゼリー
↓あじさいゼリー系の表面がザラザラした寒天ゼリーも美味しいけど、歯応えがグズグズなので飽き易い。
大分前に撮って(食べて)忘れていた。
針綱神社、三光稲荷神社、猿田彦神社から少し離れたところ…御城印が売っている観光案内所の近くに犬山神社がある。
犬山神社の沿革 所在地 犬山市大字犬山字北古券十二番地
一、祭神 犬山城主成瀬正成公を始め歴代の城主並に明治維新後の戦没者。
一、創建 犬山城内にあった祖先の零社を享保二年(一七一七)第四代城主正幸公が丸山新田東の洞相生山に遷し相生の宮と称した。 社は霊験あらたかな代々の祈願所であった。
一、変遷 この地は犬山城主平岩主計頭親吉公の松の丸の屋敷を寛文五年(一六六五)に移した西御殿があった。
明治二年(一八六九)犬山藩主庁となったが同八年(一八七五)これを廃し土地を払下げ民有地とした。 明治十六年(一八八三)六月六日相生の宮をこの地に遷して犬山神社と改称し村社とした。
享保五年(一七二〇)新田の内高百五拾石を寄進された。 昭和二十三年(一九四八)十一月廿九日承認を受け明治維新以後の戦没者三百七拾一柱を合祀した。
ここは誰もいなかったな。
城内から出た場所にあるのでゆっくり見て回りたかったけど、何となくカエルのような動物の勘が働いて「急いで駐車場に戻らねば!」と思ったんだよな。ほんとに何となく。
車の中に入ってすぐポツポツ降って来た。
そういえば、駐車場に猫の座布団みたいな物が落ちていたよ。可哀想に。
この後、掛川に向かいました。