猫まんまと、志村一里塚

寒くて雨脚も強くて、エアコンの暖房をつけてみたら…クサッッッ!

窓を開けて冷房の最低温度を1時間ぐらい続けた後で暖房に切り替えると臭いが消えるとのことで、凍えながらやってみたけど臭いよ。困った。

 

寒暖の差が堪えたのかペットの皆さんもみるみる食欲が落ちてしまい、温めたカボチャを置いたら何となく食べ始めたけど、ガツガツとまでは行かない。暫く様子見。

そういえば、昨日のポータブルラジオ?mp3プレイヤー?を台所の棚に置いて、Earth, Wind & Fireのベストを聴きながらのお茶碗洗いは凄く捗った。

 

…とにかく寒くて、今朝は昨晩のお味噌汁の残りで猫まんまを食べた。

赤いお漬物は、道の駅おかべで見つけた「べったらキムチ」。物凄く美味しい。

猫まんま

↓これ。アフィリエイトではありません。

検索していたら「牛角べったらdeキムチ」というのも引っかかったので、今度食べてみよう。

肉のハナマサで初お買い物の後、パーキングに戻る途中にある文化財&史跡。

「齋藤商店」の建物。

齋藤商店

齋藤商店
 齋藤商店は、欅を主に扱う原木商として明治二十二年(一八八九)に当地で創業しました。現在は竹材を主とし、箒や笈などの竹製品も扱っています。
現在の建物は、昭和八年(一九三三)の中山道(現:国道十七号線)の拡張工事に伴って新築されてものです。
 建物全体は、店舗部分と住居部分が一体となっており、下屋庇を廻したL型平面の入母屋造桟瓦葺の平屋に二階部分を載せた複雑な構造となっています。蓄財には国産材を使っており、また宮大工が建てたとも伝わりますが、大工の名前などは不明です。
 建物の外観には、破風を各所に見せる複雑な屋根の構造や、二階の窓の手すりに高欄風の反りを持たせるなどの意匠が見られます。さらに外壁には真壁漆喰塗りが施されています。
 齋藤商店は、郊外の独立住宅の趣を呈する区を代表する近代和風建築であり、近接する志村一里塚(大正十一年国史跡)と一体化した町のランドマークとしても親しまれています。また、平成四年にし「活き粋いたばしまちなみ景観賞」にも選ばれています。
 齋藤商店は、区の歴史や文化に関係が深く、また、意匠的、技術的にも優秀であることから、区の建築史を明らかにするうえで重要な建造物です。平成二十四年度に登録文化財となりました。

 平成二十六年二月 板橋区教育委員会

齋藤商店

志村一里塚。

志村一里塚

反対車線にも。

志村一里塚

志村一里塚
 江戸に幕府を開いた徳川家康は、街道整備のため、慶長九年(一六〇四)二月に諸国の街道に一里塚の設置を命じました。これにより、五間(約九m)四方、高さ一丈(約三m)の塚が江戸日本橋を基点として一里(約四km弱ごとに、道を挟んで二基ずつ築かれました。
 志村の一里塚は、本郷森川宿、板橋宿平尾宿に続く中山道三番目の一里塚として築かれたもので、天保元年(一八三〇)の「新編武蔵野風土記稿」では「中山道往還の左右にあり」と紹介されています。
 幕末以降、十分な管理が行き届かなくなり、さらに明治九年(一八七六)に廃毀を命じた法が下されるに及び多くの一里塚が消滅していきましたが、志村の一里塚は昭和八年から行われた新中山道の工事の際に、周囲に石積みがなされて土砂の流出をふせぐ工事が施されて保全され、現在に至っています。
今日、現存する一里塚は全国にも非常に希なもので、都内北区西ヶ原と志村の二ヶ所だけです。そのため交通史上の重要な遺跡として、大正十一年(一九二二)に国の史跡に指定され、昭和五十九年に板橋区の史跡に登録されました。

平成十七年三月 板橋区教育委員会

志村一里塚

次回は志村坂上駅の辺りも散策しようと思う。

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