干物をこんなに頂いてしまった…。いつもありがとう。
お昼ご飯はチョコバーカステラと、ドライいちじく。
日曜日に行った快活CLUBは、加須市のショッピングモールの中にある。
ここは大きな業務スーパーも入っていて、しかも空いていた。奇跡だ。
家の近辺に点在する業務の店舗は距離が微妙で車でしか行けない&常に満車で滅多に入店出来ない。こんなスムーズにお買い物出来たのは初めて。
とはいえ意外と買える物は少ないので、そこそこ安かった野菜・果物、ドライフルーツを買って帰宅。
金時人参が半額。
草食ペットのお2人と分け合おう。
とりせんとかセイコーマートとか寄り道しつつ、騎西城の辺りに到着。
↓この盛り上がった所は、僅かに残っている土塁。
私市城。これも「きさいじょう」と読む。
武州騎西之絵図
騎西城は戦国から江戸時代初めまで存続した城である。
戦国時代には小田顕家・助三郎父子、成田泰喬が居城し、江戸時代には松平康重、大久保忠常・忠職父子が城主となり二万石を賜った。
この絵図は大久保氏が在城した慶長七年(一六〇二)から寛永九年(一六三二)頃の騎西城下を描いたものである。同氏は後に小田原城で明治維新を迎え、当絵図が小田原に伝えられた。
原図 小田原市立図書館収蔵 岩瀬正直氏寄託
この絵図は ほぼ中央に沼や深田に囲まれた騎西城が描かれている。戦国時代、騎西城を攻略した上杉謙信はその様子を「騎西城は四方の沼が浅深く限りなく、一段と然るべき地で、調儀叶い難し……」と書状に記している。
城下には堀が縦横に巡り、入口や要所には門や寺社が配置され、容易に侵入できない様子が窺える。城の南側には武家屋敷が広がり、六〇余りの侍が居を構え、妙光寺から東には足軽町が置かれている。
町場は「本町」と「本宿」で形成され九〇軒近くが軒を連ね、本町では六斎市(月のうち六回開かれる定期市)が立っている。町場の西門からは熊谷へ、南門からは江戸への街道が延びている。