あんぽ柿もチョコバーカステラも「食品ロス削減にご協力を!」のお買い得品だけど消費・賞味期限ギリギリにも程があった。早いとこ食べきらなければ悪くなってしまう。
お陰で、今日のおやつ(ご飯だ)は↓こんなことに。
…でもまぁ、これだけ食べても500kcal行かないし、1食分と考えればぜんぜん問題無いと思うけど、ほぼ糖分しか無いのは大問題か。
夜ご飯のメインは、いつ頃に買ったのか全く覚えていない、悠久の眠りから目覚めたco-opの冷凍食品豆腐ハンバーグ。美味しかった。
プロテインも飲んだけど、たんぱく質ぜんぜん足りなくてどうしよう。急に首筋が皺っぽくなって来た。
昨日、寝る頃には背中の痛みも殆ど治まって普通になった。
でも何となくお目々パッチリのまま夜が明けてしまい、出勤配偶者氏を玄関まで送ってから数時間後に寝た。
騎西城のつづき。
天神曲輪跡…
…から、向かって左に視線を移すと模擬天守。
ここの内部は郷土資料展示室らしいけど、今まで一度も開いているのを見たことが無い。
藤まつり(4月下旬~5月上旬)及び文化祭(11月上旬)にしか開けてくれないんだよな。
別の角度から。
ご案内
この施設は、騎西町の町制施工二十周年を記念して、昭和五十年に建てられたものです。
かつて、この近くに騎西城があったことから、天守閣をもつ三層の建物として復元されましたが、史実では周囲に土塁や堀を廻らした、平屋建ての城だったようです。
館内には、発掘調査による出土品や民俗資料などが展示されております。
なお、藤まつり(4月下旬~5月上旬)及び文化祭(11月上旬)の期間に一般開放しておりますので、ご利用下さい。
騎西城跡
騎西(私市 きさい)城は、いつ誰の手による築城化かは不明だが、 康正こうしょう元年(一四五五)、上杉・長尾・庁鼻和こばなわ氏等が守る城を、古河公方足利茂氏が攻略したのが初見である。永禄六年(一五六三)には、小田助三郎が守る騎西城を上杉輝虎(謙信)が攻め落としている。
徳川家康が関東に入った天正十八年(一五九〇)、松平康重が二万石で城主となる。康重は大英寺(騎西)を開基し、保寧寺(日出安)に寺領を与えている。その後、大久保忠常・忠職父子が城主となり、玉敷神社を現在地に遷座するなど、城下町騎西の再編を行った。寛永九年(一六三二)、忠職の美濃国加納城(岐阜県岐阜市)移封に伴い騎西城は廃城となった。
-掘り出された騎西城-
昭和五四年からの発掘調査により、城郭・武家屋敷跡から戦国~江戸初期の堀跡や武器・武具・生活用具が出土している。城の周囲は二重の障子堀が巡り、堀幅の最大は四五メートルであった。激戦に備え総力で築いたことを物語っている。
出土品は多様で、国内外の陶磁器、矢じり、鎧金具・火打金等の金属製品がある。このほか、大量の漆・木製品も出土している。漆黒の兜、金色に輝く馬の鎧、鶴文の漆椀に加え、下駄・荷札・呪符・護符など、いずれも城下の暮らしぶりを鮮やかに甦らせる。
おしまい。