かりんとう饅頭と、難波田城公園

寒過ぎて暖房を止められない。電気毛布もしまわなくて正解だったな。

「寒い寒い」騒いでるの自分だけかと思ったけど、お友達も同じだった。

日が暮れたら風まで強くなって来たよ…。

 

かりんとう饅頭。パンまつりシールは2点だったと思う。

コーヒーにも緑茶にもぴったりでとても美味しかった。また食べたい。

かりんとう饅頭

先週の土曜日は、久しぶりに富士見市の難波田城公園に行って来た。

難波田城公園

東門。

難波田城公園

ご案内。

難波田城公園

ご案内1

難波田城公園

ご案内2

難波田城公園

波田氏の歴史と難波田
 平安時代の終わり頃から、武蔵国には「武蔵七党」と呼ばれる武士団が活動していました。その一つの村山党の中心に、金子氏がいました。金子小太郎高範は、鎌倉時代承久の乱に参戦して討ち死にしました。その恩賞として幕府から、高範の子孫に難波田(南畑)の地が与えられ、その子孫が「難波田氏」を名乗るようになりました。
 南北朝時代には、羽祢蔵合戦で高麗経済の軍勢と戦って敗れましたが、戦国時代になると難波田弾正善銀が扇谷上杉氏の重臣として活躍しました。
しかし天文15年(1546)の河越野戦で北条氏と戦い、敗れて討ち死にしました。その後、難波田氏一族は北条氏の家臣となり、難波田の土地は北条氏の家臣上田氏が支配しました。しかし北条氏が豊臣秀吉に滅ぼされたために難波田城は廃城となりました。
 難波田城は江戸時代に作られた絵図などに描かれてします。城は最初小さなものでしたが、戦国時代に難波田弾正善銀が活躍する頃に、大規模に改造されたと考えられます。江戸時代には、城跡に修験寺院の十玉院が建てられました。

難波田城公園

お城好きとか関係なく、お散歩するには最高の公園だな。いつ来ても気持ちいい。

…けど、最寄駅(東上線 みずほ台駅or鶴瀬駅)から徒歩50分という便の悪さで、駅からバスというのもなんだか面倒そうだし、そもそも家は東武東上線沿いでは無いし、配偶者氏が免許を返納する年齢になったらもう来られないと思う。

↓お堀の先が曲輪のあった場所で、その先に資料館が建っている。

難波田城公園

スイレンの花が少しだけ咲いていた。ピークはもう少し先なんだろうか。

難波田城公園

波田城公園では、行田蓮(古代蓮の里から移植)も見ることが出来たはず。

難波田城公園

お堀と曲輪の辺りは平地に見えるけどちょこちょこ段差があるので、配偶者氏の腰(背中)に気を取られて写真の撮り忘れが多かったよ。

幸い何とも無さそうだった。

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