レトロなモンキーバナナカステラ

17時頃から何故か弱まって来たけど、それまで物凄い土砂降りが続いていて、14時頃「大雨」「雷」注意報だったのが16時頃に警戒レべル3相当の土砂災害・河川洪水、「大雨」「洪水」警報になっていた。

 

…気圧が低過ぎて気持ち悪い。

 

配偶者氏はまだまだ風邪ひき声だけど、デスメタル→スカスカ声→若干しゃがれ声に変わった。

昨日はさっそく夜更かしをしていたので、声以外は何ともなくなったのだろう。

自分も今のところ移されてないな。奇跡だと思う。

 

スーパーで見つけたモンキーバナナカステラ。パッケージデザインの可愛さでおやつ選ぶことも多い。

モンキーバナナカステラ(福岡製菓所)

大正六年創業。

モンキーバナナカステラ(福岡製菓所)

父方の祖父が大正六年生まれだった。

祖父は日中戦争?で従軍した時の話をよく聞かせてくれたけど、同僚に映画監督の山本薩夫浪曲師の玉川良一が居て、祖父は別に歌手でも俳優でも無いのに何故か慰問部隊に配属されて演劇を披露していたっぽい。確か台本も見せて貰った。

祖父の従軍話は「慰問では〇〇という歌をよく歌った」とか「〇〇という土地で食べた◆◆が美味かった」とか、まるで旅行の土産話だった。

上官に苛められた山本薩夫とは違い、因縁を付けられるような嫉妬されるような肩書や実績があるでも無かったお陰で溶け込めたのかな。

協調性の欠片も無い人なのに戦友会には出来るだけ顔を出していたみたいだし、祖父にとっては従軍も楽しい思い出のようだった。

以前にやっていたブログにも↑この話を書いたのだけど、お祖父さんが↑同じ部隊に配属されていた人の目に留まらないかなと思って。

祖父が亡くなった時「台本っぽい本は無かった?」と両親に訊いても「そんなの無かったよ…って、何それ?」とのことだった。

深紅の装丁に、掲載されていた劇か歌のタイトルは確か「ひばりの歌」「ひばりの唄」「ひばりの詩」だったと思う。何しろ小学生時代の記憶だから曖昧なんだよな。

やけに綺麗だったし、多分、戦友会で再編集された物が送られて来たのだろう。

…で、↓ここまで用意をしておきながら、どうもお腹の調子が悪くて結局食べなかった。

明日一気食いしよう。

モンキーバナナカステラ(福岡製菓所)

触った感じはファミマのひとくちカステラにそっくりで、角の辺りがボロボロ崩れて行く。

モンキーバナナカステラ(福岡製菓所)

↓ファミマのひとくちカステラ。

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