立派な干物を頂いたので、朝から「今日は晩ご飯何にしようかな」とか億劫な事を考えずに済んでニコニコだったよ。
しかも凄く美味しかった。ごちそうさま。
300円ショップのカレー皿。税込440円だったけど。
2人家族なのにカレー皿ばかり増やしてどうするんだ。
お茶碗ばかり増やして、マグカップばかり…、小皿…バージョンもある。
↓去年に同じお店で見つけたカレー皿。
象さんだけで無く犬猫柄のも売っていたと思う。
Big-Aで見つけてお試し買いしてみた1袋78円(!)の辛口レトルトカレーが、大昔に食べたことあるような味で美味しかった。また買い行こう。
↓トップバリュだったのか。
覚え書き的に軽く早雲寺のつづきのつづき。
贈従三位 故従五位下 北条氏綱
大正四年十一月十日…
大正になって五位から三位に昇官したという事なの?
史跡 北条五代の墓
天正18年(1590)4月5日 豊臣秀吉は箱根山を越え早雲寺に入り本陣とした。6月下旬 石垣山一夜城が完成すると火を放ち、当時関東屈指の禅刹として威容を誇った早雲寺の伽藍、頭塔寺院は尽く灰燼に帰したのである。
7月5日 北条氏が降伏し、同11日には氏政、氏照が切腹。氏直は高野山に追放され、翌天正19年1月14日 逝去している。
なお北条一門では、伊豆韮山城主であった氏規(氏政の弟)が秀吉に許されて河内狭山城主(約1万石)となり(狭山北条氏)、鎌倉の玉縄城主であった氏勝が徳川家康の傘下に入り、下総岩富に1万石を与えられ(玉縄北条氏)、この家系は江戸時代を通じて存続している。
早雲寺の再建は、当山17世 菊径宗存によって寛永はじめに始まるがその復興に北条両家の外護は欠かせないものであった。
北条五代の墓は、狭山北条五代当主 氏治により寛文12年(1672)供養塔として建立されたものである。
北条早雲(1432〜1519)
俗名 伊勢新九郎長氏。戦国時代初期を代表する武将。京都から駿河今川家に身を寄せ伊豆・相模を攻略して独立、戦国時代の幕を開いた。伊豆韮山で没。享年88
北条氏綱(1486〜1541)
父早雲の意志を継ぎ武蔵・下総へ進出。小田原北条氏の領国を拡大した。享年56
北条氏康(1515〜1571)
扇ヶ谷上杉氏を滅ぼし、甲斐武田、越後上杉の関東進出を防いで領国経営にすぐれた手腕を発揮した。享年57
北条氏政(1538〜1590)
夫人は信玄の娘 黄梅院。信玄の西上を後援、その没後は信長と連携して武田討伐に加担。やがて秀吉に破れ切腹。享年53
北条氏直(1562〜1591)
夫人は家康の娘督姫。下野宇都宮氏を降し、小田原北条氏最大の領地を形成。上野真田昌幸の名胡桃城を奪取して秀吉と対立し敗れる。家康の助命により高野山に流される。享年30
早雲以外が早死に過ぎて切ない。