取り込んだアストロフィツム他と、常陸國總社宮のつづき。

今日の真夜中2時頃、南側居間の窓に雨の当たる音が気になって、外に出しているアストロフィツム&ロフォフォラが先週から雨に当たり過ぎだった事も気になり出したので、半分眠りながら部屋の中に取り込んだら一瞬で服がずぶ濡れに…。

着替えるのが面倒で、体温で無理矢理乾かして寝た。

アストロフィツム&ロフォフォラ

西友で売っていた日糧の和生菓子「柿」。

日糧「柿」

ヘタとオレンジ色が羊羹でお餅の中に白餡が詰まっていたりと、ギミックが多くて美味しかった。

日糧「柿」

チャイハネ九谷焼豆皿「布袋」。

食器は、気に入り過ぎると割るのが怖くてお正月ぐらいにしか使わなくなり、それはかえって勿体ないし、頑張って使わなければ。

普段食べている質素で雑でケンモ飯のような食事も、お皿が綺麗なだけでそこそこ美味しそうに見えて来るんだよな。

チャイハネ九谷焼(布袋)

常陸總社宮のつづき。

あまり考えずに来てしまったけど、本来は17時で終了みたい。この時は17時半。

常陸國總社宮

けっこう暗い。

常陸國總社宮

常陸總社宮 由緒

国府と総社の物語~

約千三百年前の七世紀、現在の茨城県常陸国と呼ばれていました。

広大で山海の幸にも恵まれたこの国は全六十余国のうち最上の「大国」とそれ常世の国とも称される憧れの聖地でした。

常陸国の中心地である国府があった場所が旧茨城郡、現在の石岡市です。

茨城の県名はここに由来します。国府の長官である国司が執務した国衙跡の遺跡は近年の大規模発掘に伴い国指定史跡に登録されました。 国衙の南側にかつて倭武天皇(ヤマトタケルノミコト)が腰掛けたと伝わる「神石」があります。日本百名山の一つ「筑波山」、日本第二の湖「霞ヶ浦」の悠々たる美景を同時に望めるこの場所に創建された「総社」が常陸總社宮です。

総社とは、それぞれの律令国に鎮まる八百万の神々を国衙近くの一ヶ所に合祀した神社であり、全国で五十五社が確認されています。国司たちは総社を拝することで自らが治める国の数多の神々に祈りを捧げたのです。

徳川光圀が『大日本史』編纂のために参照したと伝わる社宝「総社文書」は連綿と続く当宮の歴史を今に伝えています。

長大な歴史の波に翻弄され祭祀を中断せざるを得なかった総社もある中で、当宮は創建以来絶えることなく「国府の神祭り」を続けて参りました。その現在の形が最大の祭典である九月の例大祭です。地域を挙げて祝われるため「石岡のおまつり」とも呼ばれ、全国から数十万人もの参拝者が訪れます。

境内最古の建造物である本殿は平成二十八年に大規模修復を完遂し、人々の崇敬を益々集めています。

常陸国の神々~

常陸總社宮は常陸国の神々をお祀りしています。

国学者本居宣長が主著『古事記伝』に述べるように「神」とは海川山野に宿る霊など、人間には理解しがたい力を持つあらゆる存在を指します。常陸国の神々とは『常陸国風土記』に記された常陸国の豊なる自然そのものと言えるかもしれません。

常陸国府では当国一宮・鹿島神宮に対し現在まで続く「青屋祭」を営み、格別の崇敬を示してきたことが伺えます。

また二宮・静神社、三宮・吉田神社を始め、当国の延喜式内二十八社との関係が示唆されます。

江戸時代に祭神の再考証が行われ、現在では特に以下の六柱の神々を称え、境内の十二末社には特に著名な神々を個別にお祀りしています。 伊邪那岐命須佐之男命・邇邇藝命 大国主命・大宮比賣命・布瑠大神

常陸國總社宮

これは花手水だと思う。配色がハロウィンっぽい。

常陸國總社宮

この神社には土俵があって、以前に奉納相撲の土俵入りだけ見た。お祭り2日目の早い時間に催されたと思う。

門を潜ると拝殿だけど真正面を向いていないので、初めて訪れた時は一瞬「あれ?何処にある?」って思った。

常陸國總社宮

日本武尊が腰掛けたと言い伝えられている石。

常陸國總社宮

↓で、「火の鳥ヤマト編」。

常陸國總社宮「火の鳥(ヤマト編)」の大絵馬

拝殿。お賽銭箱は無かった。

常陸國總社宮

この灯篭は、1基30万円(2年目以降の維持費年間1万円)で奉納出来るらしい。

常陸國總社宮

幸い社務所がまだ開いていたので、配偶者氏は無事「ジャングル大帝×幌獅子」の御朱印長(ピンク色)を買うことが出来た。

紺色のは、19年のお正月に入手済。かなり気に入っているっぽい。

常陸國總社宮ジャングル大帝の御朱印長

常陸國總社宮ジャングル大帝の御朱印長

子供の頃、アニメ「ジャングル大帝」のOP・EDが怖かったな。

この年になって聴くと凄くいい曲だから不思議。

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